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呉 (春秋) : ウィキペディア日本語版
呉 (春秋)[ご]

(ご、拼音:wú、紀元前585年頃 - 紀元前473年)は、中国春秋時代に存在した君国の一つ。現在の蘇州周辺を支配した。君主のは姫。元の国号は句呉(こうご、くご)。
中国王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(呉仲・仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲の子孫である寿夢が国名を「句呉」から「呉」に改めた。
紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、王の勾践により滅ぼされた。
国姓は(き)。
==歴史==

===成立===
呉の成立については詳しいことはわかっていないが、司馬遷の『史記』「呉太伯世家」によると、以下のような伝説が載っている。周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子・季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていた。長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き、現地の有力者の推挙でその首長に推戴されたという。後に季歴は兄の太伯・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施した。当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉(後に寿夢が呉と改称)と称し、その後、太伯が亡くなり、子がないために首長の座は虞仲が後を継いだという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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